スケートショップという小売店との出会い
皆様、夏休みやお盆休みはどうでしたか?
もう9月も半ばですがTVやネットでは
“災害急の暑さ”だの”不要な外出は避けて下さい”だの
最近の報道は何を報じたいのか知りませんが
過度に不安だけ煽ってはります。
けど、僕が中1の時もしっかりクソ暑かったし
そもそも熱中症て言葉すらなかったし
何かあったら光化学スモッグ注意報なる
絶対身体にすっげ~悪い空気感なモノが連日発令されてました。
が、1mmも気にする事なく夏休みは毎日早朝には家から外出て
暗くなるまでスケボーしてました。
そんな僕が小6~中1。
まだ”ホモロー”なるストリートネームをも授かってない
1980年代の夏休み。
スポットへも近いし小銭程度は小遣いセビれるんで
ジィちゃんに顔見せに来たで?の体で
夏休みにはよく河原町二条の祖父母の家に顔を出してました。
(写真にも祖父母の家が写っています)
【京都市電のアルバム】様より引用
当時1980年代の河原町二条交差点。
(写真は1973年撮影)
東南角。造幣局の北端には当時でも「何コレ?」レベルだった
ラビットバイクなるスクーターを扱うお店があって
当時でも「何コレ?」レベルの相当ヴィンテージな看板が
掲げらえていたのを覚えています。
信号を渡って
西南角。現在コンビニになってる所には
車道まで商品出てるで?レベルで季節の野菜や果物が並べられた
八百屋があったと記憶しています。
(写真右端)
そのまま西へ二条通りを直進すると寺町通りへ合流する手前に
“Sポーツ小西”なるスポーツ店が2軒連なってありました。
西側の1軒はシューズメインで、もう1軒東側はテニスラケットなど
ハード物が陳列されていて、お店の1番奥には本格的な
スケートボード販売コーナーがありました。
【NORTH POINT】様オフィシャルHPより引用
コラムで何度も書いていますが
僕がスケボーを始めるきっかけになった同級生の家が
サーフショップ”Nースポイント”を営んでおられて
そのSポーツ小西から数百メートル北へ上がった銅駝美術高校の
すぐ近くに同級生のお店がありました。
当時の僕は何も分かってなかったですが
Sポーツ小西とNースポイント
お店同士が物凄い近いので商品が被らない様に各お店で置いてる商品が
全然違ったので、それが面白くって見るだけで楽しくって
夏休みはO崎やK端で滑ってから祖父母の家へ行き300円小遣い貰って
まだプッシュで移動するのは怖かったんで
Sポーツ小西とNースポイントの数百メートル間を何度も何度も
デッキを小脇に挟んで走って往復していました。
この2軒のお店の丁度真ん中の路地裏に”モン屋”
なるリアル駄菓子屋があって祖父母に貰った300円を全額突っ込んで
何かよ~分からん真っ青とか真緑の液体と
異常に酸っぱい異常に赤いイカ的な物が串に刺さってる物体を
口にして同級生と来年お年玉貰ったらデッキどれ買う?
の話をずっとしてました。夏休みに…。
Nースポイントは同級生の親がいるので当たり前に行儀の悪い所作は
出来ないし、汚い言葉や下ネタなんかもご法度。
なので割りかしスポーティーに「O崎公園滑りに行ってきます」的な
感じで振る舞っていましたがSポーツ小西は僕もただのそこらのガキ扱い。
来てるお客さんも全然知らない恐い兄ちゃんばっかり。
気配を消して背中を向けて兄ちゃん達の会話に聞き耳をたてたら…
○○が三条○でバイク○○ったらしいで
○○が○○高校の○○と○ったらしいで
○○高校お嬢様高校てウソで○○コばっからしいで…。
ちょ、タ○”コ吸おや?それタール何mm?1本頂戴や?
と、今思ったらその兄ちゃんらもガキ丸出し
アホ丸出しの内容ではありますが、小6~中1の僕からしたら
バイオレンスもエログロ全てがフルマックス。
この直後、上下関係なんか全然理解してなかった
超文化系の僕はこの怖い兄ちゃんグループの一人にタメ口で喋りかけて
思っくそドツかれて結果ホモローになるわけではありますが…。
これが僕が”スケートショップ”なるものの存在を知った最初でした。
京都のスケートショップの歴史
その後Nースポイントは河原町丸太町に移転。
(現在は二条城周辺に移転)
その1ブロック北の寺町今出川には当店の
前々身となる初代元祖のボードウォーク。
高野車庫の北隣にサーフショップ Hット。
国際会館浄水場跡地にはスノーボードショップEペランサ。
同志社グラウンド前にはSポーツ小西のライダーだった人がやってた
ウィンドサーフィンショップAズア。
北山にはスノーボードショップのMズ。
北大路下鴨本通にはディストーションも兼ねてたOーサム。
同じく北大路烏丸のビブレの中にも一瞬だけAエスアールなる○○サキの
対抗馬を狙っていた横乗り系量販店が一瞬だけありました。
同志社大学前現在やおい軒がある所にサーフショップのBンクス。
西に行けば二階にミニランプを有するスノーボードショップSミット。
東へ行って五条にはHーシック83。
三条~四条の繁華街にはオーパにMサキに御幸町にMランコリー。
地下にクォーターを有した超大型店舗のGロウや
ドメスブランドの走りでもあったCクエスト。
ポルノ映画館の裏にもHッジて店もあったし
Wーキンストア。そして何よりU小路ビルの三階にSイド…。
僕がスケートショップなる小売店を認識して約35年。
パッと思い出したのを書いただけで抜けてるのもありますし
時代背景もバラバラですがこうして京都の”スケートショップ文化”は
細々とそして脈々と受け継がれて行き今現在この僕が何の因果か
その京都のスケートショップ文化の一部を背負う立場になっていました。
皆様に正直にお店の状況を表に出したのは今回が初めてでしたが
僕自身は既に数年間も耐えに耐えてもう無理になった結果の
カミングアウトでしたので正直心身ともに疲弊しきっていましたし
まぁまぁ投げ槍にもなってただただ意味もなく頑固にだけなってもいました。
前のコラムにも書き記しましたが商売人が
「商売あきまへんねん」と白旗上げるのは僕は古い人間なんで
負けを認めてしまうと正直思ったままクラウドファンディングを開設
させて貰いました。
正直当店がココまで皆様に愛されているとは思ってませんでした...。
結果…。
ソッコーでお店に来て下さって直接ご支援下さったお客様も
沢山居て下さりました。
本当に有り難くってお客様がお帰りになられた後に真っ暗なお店で
御神酒プシュって有難過ぎてちょっと泣いてまいました。
そして、2024年9月10日(火)23時59分59秒。
目標金額を達成させて頂いた上に更に107%まで行かせて頂き
当店のクラウドファンディングは終了させて頂きました。
正直に申しますが決して左団扇ではありません。
数年苦しんだ結果、やっとこさゼロ...いや...
もうどないも無理な超クソファッ○ンマイナスから
すっげ~マイナスぐらいまで戻らせて頂きました。
最後に僕みたいな人間ど~でもいいとしてローカルスケートショップという
若者文化発信基地の重要性や必要性を今の若い子達にも感じて欲しいと
113人を越す多くの大人の方がエゲつない支援下さった事に正直驚きました。
若い子達は自分の親世代のオッさんやオバはんがダルいと思ってると思います。
が、そのダルい大人の奴らも実は若い時があってスケートショップで
酸いも甘いも嚙み分けて成長してそのパッションたるや君達より
今も遥かに衰える事なくありますし結構イケてます。
表向き説教しながら実はコッソリすっげ~スケボーをスケボー文化を
そしてそれらを昇華させるスケートショップを支えてくれています。
実に危険そうでありながら魅惑的て甘味な響き。
“スケートショップ”または”スケボー屋さん”
皆様も僕が35年前に夢中になった様に是非お店に遊びに来て下さいませ。
この空気感、緊張感、SUPPOT YOUR LOCALSHOP感は
Amazonにも楽天にもメルカリにも絶対売ってません。
駄菓子屋ボードウォーク京都は皆様に支えて頂いて京都は出町の
路地裏で皆様のお力添えを頂いて
意地でも実店舗を残して君達のご来店をお待ちしていますね。
15年目のボードウォークをどうぞ宜しくお願い致します。
皆様この度は本当に本当に有難う御座いました。
ボードウォーク京都 店長 荒川"ホモロー"雄介
皆様にご支援頂きました返礼品はS/STeeから生産を開始し完成後
各お客様ご希望のお渡し方法(郵送か店頭でお渡し)にて対応させて頂きます。
中には「お店に遊びに来たマジでスケート頑張ってる子にプレゼントで」みたいな感じの
ご要望のお客様もおられました(笑)
現在オーダーをまとめて工場に発注前です。
予定では9月下旬〜10月初旬にまずTシャツが完成予定ですので
今しばらくお待ち下さいませ。
その後、10月中旬〜下旬にL/Stee、11月初旬からHOODの発送を予定しております。
商品についてのご質問は【コチラ】こちらからお問合せ下さいませ。
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