今年はゴン攻め真夏の大冒険でしたね
素で資料が残ってるのも驚きですが1200年間で最も早い桜の開花。
そこから疾走感が衰える事なく観測史上最速で梅雨入り。
そこから最速で梅雨明けか?思ったら梅雨が明けるんは例年通り…何なら長梅雨気味。
どんなけ降るねん?マジでしつこいぞ?でやっとこさホンマやっとこさ梅雨明けて
やっと、やっとの思いで灼熱の太陽が出て来た!!夏スタート!!って思ったら記録的な豪雨に長雨…。
からの「アレっ?秋どこ行った?」でカットインでいきなりクソ寒くなって…コラム書いてる
今10月下旬現在はもうパーカー無しでは無理な気温。
どうも。先週まで余裕で家で履いてた短パンを寂しく見つめて
がっつり温かい長パン履いてる店長アラカワです。
さて、皆様如何お過ごしですか? ホンマに今年は雨ばっかりですが奇跡的に開催期間だけは真夏の太陽に恵まれ賛否両論はありましたが1年遅れてオリンピックが開催されましたね。
スケボー屋さんのコラムなんでコレをお読みの皆様も恐らくご覧になられたとは思いますが
今五輪より競技に入ったスケートボード競技での日本人の快挙躍進メダルラッシュは凄かったですね。
特段ココでその事について細かく書かなくても他のメディアで10月現在でも連日報道されているので
内容については割愛しますが…まさか自宅のテレビでビデオやDVDではなく生中継でしかも国営放送でスケートボードが観れるなんて僕が小さい頃から思えば夢にも思えない光景でした。
実況でゴン攻め瀬尻さんも仰られてましたし僕も当コラムでずっと書いてますが
スケボーは間違いなく金銀銅が全てではありません。何ならメダルを授与した本人達ですら
オリンピックは通過点であってまだ更にその先の高みを見据えてるのでは?思います。
その逆も然り、メダル獲ってないから負けたとも言えないのがスケートボードの魅力では?
と僕個人は強く思います。
論より証拠にメダルには届かずとも形容が変ですが男魅せて
己に勝つ為にフリップインディグラブに挑戦し、ダブルグラブになろうが
根性で乗りに行って残念ながら失敗しちゃった女子選手は
オリンピック会場、最前線の現場での選手間はもちろん
国内外問わず瞬時に彼女の果敢なトライにエゲつない高い評価をされていました。
メダルより彼女の根性に金メダル...いや、それ以上の評価や好感や称賛が即時に出る。
アレこそスケートボードの一番の魅力ではないかな?と僕個人は思います。
放送後、お客様もあのシーンで「涙出たわ」「鳥肌立ったわ」などなど
これからスケートボードを始めようかな?のお客様にまで”ソコ”が伝わっていたのは
スケートボードの魔力がブラウン管を通して存分に拡散されたのかな?と感じれました。
これまた賛否両論ありますし今後色んな意見が出て来るとは思いますが
鬼アンダーグラウンドだけだったスケートボードの氷山の一角、極一部でも
スポットライトを浴びた事は本当に良かったのではないか?と個人的には思います。
クソ長い当店のコラム実はココからスタートです。
で…絶対スポットライト当たらへん舞台袖?
南極の海の深海奥底数千メーター巨大な氷山の下の下、奥の奥
舞台の楽屋?いや劇場にも入れてへん芸人さん出待ちしてるファンの状態かな?
さぁ~!! ココからが当店名物、意味なくクソ長い一体誰が読んでるのかマジでホンマに書いてる僕ですら分からないお馴染みの前置きからクソ長い当店のコラム、ココからスタートです。
さてとここをご覧の皆様の大半は産まれた時には携帯電話にスマートフォン。
インターネット回線、タブレット、ウィっフィっがビンビンピンコ立ちで飛んでて当たり前。
知らない分からない事があれば音速でグーグル先生の登場。が普通じゃないでしょうか?
それはスケボー動画もしかり。1~2カットの短編スケボー動画なんて
インスタグラム先生にアクセスしたらマジで1秒間に5個や10個が
世界中から絶える事なく今現在もアップロードされ続けていると思いますし
2分以上のフルパートや長編スケボー動画もユーチューブ先生やヴィメオ先生に
滝の様に毎日アップロードされている事かと思いますし
オリンピックの影響で今後ご自宅のTVでもスケートボードのコンテストの
中継も観れる様になる事も夢物語では決してない事と思います。
しかし昭和の団塊ジュニア世代ど真ん中の僕がガキの頃はその様な状況ではなく
野球など当時でもメジャーなスポーツはTV中継や新聞でもちろん見れましたが
スケボーなんてマイナー中のマイナー。ビデオがリリースされるのも年1本程でしたし
欧米しかりここ国内でもスケボーの”今”の情報なんてどない頑張っても
見れるメディアが極々限られていました。
そこで当時唯一スケボーの新鮮な”今の”情報が知れる唯一の術は雑誌。
専門誌で今販売されているのとは異なる元祖OLLIEという雑誌は一応あったのですが発売日も定まって
おらず発売が遅れるのが当たり前で大体年4回位発行かな?って感じ。
(当時のOLLIEマガジンの写真見たら5月号宇宙超特大号とか書いてるし...)
しかしながら内容は濃いし写真も沢山見れたものの発行ペースが自由過ぎるが故に
手軽に”今の”情報を収集出来る感じではなく...。
そこでより早く”今の”スケボー情報を得るにはどちらも月1回きっちり発売されていた
ファッション誌”Fine”の中に数ページスケボー情報が載ってるのと
サーフィンの専門誌”TakeOff”って雑誌の後ろの方の白黒ページに
オマケでスケボーの大会結果報告でプロの名前だけが数名載ってるぐらいの物。
そんな超拙い情報でもキャビアより高価。昆虫食よりも豊富なタンパク源。
生簀から出したて捌きたてのピチピチの舟盛りぐらい新鮮フレッシュ。
デカくても切手4枚分ぐらいサイズのスケボー白黒写真数枚がたまに見れる為だけに
fineが当時380円。TakeOffが300円で(最初の方はオール白黒で200円やった記憶も...)
毎月買って数百ページはあろうかファッション情報やサーフィン記事
は一切見ずに捨ててスケボーの写真や大会結果だけ
スクラップしてマジで穴が開くちょっと手前まで毎日見ていました。
当時日本国内のプロスケーター様の数も今に比べては遥かに少なかったでしょうし
雑誌に掲載されていた国内の大会結果は毎回大体同じプロスケーター様の
名前が記載されていていました。
当時のストリート競技の絶対的王者は川村諭史プロ。
そしてオリンピックではパーク競技と呼ばれていましたが当時はバーチカル競技と呼ばれていた
絶対的王者はここ京都出身の大村CABA滋プロ。
毎月、毎月、数百円払って雑誌を買ってこのお二人の名前を大会結果で確認して安堵し
CABAプロは家が近かったのでCABAプロ本人の実家まで無作法にドカドカプッシュで行って
毎回、毎回「スケボーの兄ちゃん!!(雑誌に)名前載ってるで!!」て言いに行き
毎回、毎回「俺(大会)出てたんやし知っとるわ!!」と突っ込まれ…。
毎回、毎回その報告をダシにCABAプロから自身のスポンサー様のステッカーを貰い。
川村プロは恐らく関東の方なので一切接点がないのでどんな人なんかなぁ?
怖い人なんかなぁ?めっちゃスケボー上手いねんろなぁ~。
と、ただ”優勝 川村諭史”と漢字6文字が印刷された紙面を見て妄想するだけで
実に芳醇で豊かで薫り高い時間を過ごせました(笑)
当時毎日一緒にスケボーしてた友達Aヤンは現在も河原町丸太町に店舗を構える
老舗サーフショップの息子なので毎月雑誌TakeOffが自分のお店に入荷したら
店主のママに内緒で先に雑誌の中を見てスケボーの情報が何も載ってない時は前もって
「今月スケボー載ってないわぁ…」
と知らせてくれて数百円と言えど僕の限られたお小遣いを守ってくれていました。
現在はパチンコ屋になってますが当時Aヤンのサーフショップの
隣は超広い駐車場で時代的にもユルい時代だったのでそこで2人でいっつもスケボーをしてました。
その日は先に僕が駐車場に到着しスケボーの練習してたら少し遅れて学校から帰って来た
Aヤンがショップから出て来て「今月(スケボーの話題)めっちゃ一杯載ってるで!!」
と伝えてくれました。そら迷う事なく購入。
その場で雑誌を開き…と書きたいのですが
僕は田んぼの畦道で拾ったエロ本と自腹で買ったスケ本は無事故無違反で
安心安全に自宅に持ち帰り全てのコンディションを整えた上で紐解くタイプのキモい人間
なのでその日もお楽しみは晩飯後の後と狙いを定め無事故無違反安心安全で自宅に持ち帰りました。
晩飯後、オカンが一階から「食べた後のお皿ははしり(台所)出しよして毎日言うてるやろ!!」
てブチキレとるのも当たり前にスルーして二階の自分の部屋で
ナップサックから例の雑誌を取り出し雑誌後方の白黒のスケボー紹介記事が載ってる箇所は
指先の感触でほぼ誤差なく開けるまでになってたのでその日も
サーフィンの記事は全部すっ飛ばして一気にスケボーページに。
予めAヤンからのタレコミで写真多い目って事は知ってたので絶対、当時ハイオーリー日本一の名を欲しいままにしていた川村プロの”今の”オーリーの写真が見れるもんだと思ってたら…。
誰やこれ...? 何やこいつ...?
一発目発した言葉は
「誰やこれ…?」でした。
続いて物凄くいい加減なシーケンス(連続)写真を見て
「何やこいつ…?」でした。
当時、既にアメリカのコンテストに出場しておられたクリリン酒井プロや江川プロに
豊田プロに前述のCABA大村プロや川村プロもおられましたし他にも数名おられました。
なので決して日本人のスケートレベルが特段低かった訳ではありません。
ただ、渡米する以外恐らく当時の日本のプロもアメリカの“今の”より更に鮮度の高い”最新の”情報を得るには僕らと似たかなりのご苦労があったでしょうし
誰よりも早く流行のトリックや新トリック情報を得て最短でアメリカのプロと同レベルまで精度を上げる迄練習するには今では想像の出来ない努力をなさってたと安易に想像が付きます。
が、悲しい事にやはり情報発信基地のアメリカに比べればどない頑張っても日本では多少の遅れが生じてしまいます。
もちろん、当時でもアメリカのプロがデモストレーションで来日したり
ポカリスエットやロッテ等主催の世界大会が日本で開催された事もあったので外国人プロスケーターが
全く日本に来てなかった訳ではないですが、コロナでない時の様に
繁華街や観光地に外国人が溢れかえってる様な時代では無かったですし
正直外国人をそこらで見かける事は観光地のここ京都でも当時はそこまでありませんでした。
そこに来て外国人スケーターの”最新の”デモストレーションが日本で見れるとなると
ロックスター来日級、プロスケーターがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!の
A Hard Day’s Night状態の扱いで何ヶ月も前から準備が始まり
色んなショップで何ヶ月も前から告知ポスターが貼られ
雑誌Fineにも○○プロ来日まで後3ヶ月!!来日前に〇〇プロを徹底分析!!
みたいな記事が絶対載っていたのでその外国人プロが京都には来なくても大体
どんなプロがいつ、どこに来日するかの情報は何となく知っていました。
ただ、その時に買った雑誌TakeOffに載ってる外人は全然知らないし来日の前情報も全く無かった全くのノーマークなのにどう見ても”最新の”トリックをやってるのかが全く理解出来ずで
「何やこいつ…?」になってしまいました。
記事内の極々少量の文字を必死に読み進めると
フランキー ヒル?
名前を知った所で「せやしこいつ誰やねん…?」だけでした。
そこからこの謎の外国人の詳しい情報を小~中学生ぐらいの僕が得れる訳もなく全く謎のまま。
これが僕が初めてフランキー・ヒルなる化け物スケーターの名前を初めて見た時でした。
そんな謎の外国人の事もすっかり忘れ
当時世界トップの人気と勢力を持っていたスケボーカンパニーPowell社から
年一回のお楽しみ。同カンパニー所属のライダー様達
総出演のスケートボードビデオ【PUBLIC DOMAIN】が発売。
凄い高かったので自分1人で買える筈もなく連れと割り勘でビデオを買って
お決まりのダビング(コピー)し来年に次のビデオが発売されるまで安定して動くスケーターを毎日観れる幸せな日々が始まりました。
中でも最初のマックラッドの曲で4人のスケーターがストリートをガンガン流すシーンと
中盤の若手3人がこちらも最初と同じくストリートをガンガン攻めてるシーンがめっちゃ大好きで
いっつも観てたのですが…英語の成績万年1か2の優秀な僕がHILLを読めるはずも無く…
学校の教科書で出てくる外国人の名前は決まりキン○マでマイクばっかなんで
何ならそのテロップが名前である事もあんまり分かっておらず...
しかも僕が前に雑誌で見たのは数枚の写真だけなんで毎日見てるビデオの中のスケーターと同一人物とは全く結び着かないまま1年間ガチで毎日最低2回は観続けていました。
※↓ホンマは全部観て欲しいですが...32:35より再生して下さい。
レモス+フォイ+ナイジャ×5=ヒル?
そして僕がフランキーヒルって名前を雑誌で見て2年が経った翌年。
Powell社は安定して新作ビデオ【BAN THIS】の発売を発表。
前作の評判が良かったのか?このビデオは前評判もパラパラ聞けて僕より
アメリカ情報に詳しく英語も堪能な先輩スケーター様から
「トップに出とるらしいフランキーヒルて奴絶対プロなりよるエグいタマらしいで」と聞いてて
あれっ?なんかその名前聞いた事あるぞ…?何年か前あの雑誌で見た日本の大会出てた奴ちゃうん?
あれっ?毎日観てるヒレーみたいな英語…まさかヒルて読むんちゃうん?てかあれ名前やったんや...!!
と、思いつつ安定のダビング(コピー)テープを無事故無違反安心安全に自宅に持ち帰り
いつもの冷えたコーラとポテチとリモコンを定位置に設置し万全のコンディションで
VHSプレヤーにテープをイン。
再生して直ぐ。
正直1回目はエグ過ぎて何や全く意味が分かりませんでした…。
先はまだ1時間以上あるのにまた巻き戻してもう1回観て
当時仲間内で唯一デッキ3枚積んだのをオーリーで飛べて得意げになってた
自分を激しく叱責しました。自分のちっぽけさでお尻の穴まで真っ赤になるぐらい
恥ずかしくなりました。ジャンラン(ジャンプ台)ありきでも相手は鉄棒飛んどるし…
僕は歩道の段でボードスライドしてサンタモニカの風浴びたみたいな得意顔したのに
こいつ自殺としか思えへん手すりガッスガッス行っとるし…
エンダー(最後の”トリ”のトリック)は途中で消えてますが
こんなもんコケても生きとる方がおかしいやろ…ここトライしようと思う時点で
こいつ完璧な頭イっとるキ○ガイやで…。
と、完全降伏。逆らうや批評する様な事なぞ一切考えず
エーちゃんタオル毎回買う系で完全な1ファンとしてフランキー ヒルを追いかける
決心、いや、もう自動オートマチック系でフランキー ヒル教へ入信を決心しました。
※↓ホンマは全部観て欲しいですが...2:24より再生して下さい。
映像の中のトリック達は30年経った今ではスタンダードになっていますので
僕が受けたこの衝撃は今の子には分からないかも?ですが雰囲気的には
ティアゴ レモスとジェイミー フォイとナイジャ合わせて3で割るどころか
そのままフィージョンして5倍なった様な感じが正しいのでは?と思います。
それぐらい、フランキー ヒルのこの1stソロフルパートは衝撃でした。
フランキーヒルは猛進し続け世界トップへ
↑近年流出し明るみに出たPOWELLライダーのみに配られたライダーマニュアルの一部
近年マニュアルが発見されて明るみに出たのですが
ステッカーの貼る位置指定にデッキのグラフィックが消えない様にレールバー装着義務化
白色無地Tシャツ着用禁止に同社が指定するカラーTシャツ着用の義務化まで規則で決められ
(BAN THISでヒルも赤色のスエットパンツにアーミーグリーンのTシャツで統一されています)
更にエリートプロスケーターとしての立ち振る舞い迄が事細か決められ、フロウ、アマ、プロを階級別にし厳しく分けてそれに準じて給料や優遇が予め決められ
時には軍隊とまで揶揄される程厳しく管理された上で世界に通用するエリート中のエリートスーパースタースケーターとしてプロを育成するのが当時のPowell社だった様ですがそんな超難関、超狭く厳しく薔薇の門も難なく突破し、フランキーヒルはBAN THIS出演後矢継ぎ早にPowellよりプロに昇格。
噂ではデザイナーとヒル本人がアムステルダムで休暇中のなんてない会話で彼の力強いスケートスタイルのイメージにブルドックがリンクするからって理由でそのまんまブルドック柄が選ばれたらしですが
彼のブルドック柄の1stプロモデルがスラッシャーマガジン等にも大々的に広告が打たれ全世界で発売が決定。
写真のデッキは当時のままの製法でプレスされた復刻版のデッキです。
当時バーチカル競技目線でシェイプされたデッキが主体で
ストリートスケートに主体を置いて設計されたデッキは凄く少なかったので
日本でも買えるようなったら既にフランキーヒル教にがっつり入信していた
僕はそんなブルドック柄へ込められたエピソードも全く知らずにとにかく一切何の迷いも無く
ちゃんと貯金しておいたお年玉を握りしめショップへ出向いて他のデッキなんか一切目もくれず
ブルドック柄の彼の1stシグネーチャーデッキをストレート購入。
そして彼を代表すると称されるパートが挿入された
Powell社の7作目ビデオ【Propaganda】
が僕がデッキを買ったのを見てたかの様なタイミングで発売。
前作同様ビデオを入れて再生したらブラウン管の前から離れなれられなくなる
釘付け番長兼特攻隊長のトップバッターでもちろん自身のシグネーチャーデッキに乗って
堂々出演し、前作よりさらに進化したハンドレール(手すり)トリックの応酬の
ダイナミックな滑りを披露。
そして現在でも伝説になっている超特大のグラスギャップ(段差)をオーリーミュートグラブを
エンダートリック(最後の"トリ"のトリック)でお見舞いしトップバッターとして一切遜色のない豪華なソロパートを提供してくれました。
もう、ずっぽりフランキーヒル教の信者になってた僕は教祖と自分と比べる
様な俗世な真似はせず、ビデオのタイトル通りずっぽりプロパガンダ映像を
全身で浴びて政治的レベルまで自ら洗脳され陶酔させてもらい…
当たり前に一緒に滑ってた仲間達全員にフランキーヒルの魅力を伝えまくり
仲間全員フランキーヒル教に入信させ、
英語の成績万年1か2の優秀な僕は何言うてるかな~んも分からないので雰囲気で
「はい あいフランキーヒルあいらいくびぃ~くする~おぉ~りぃわんふっと」※1
て、謎の呪文みたいなのを言ってからしょっぼ~いステア(階段)を
彼がビデオの中で飛んだ超特大のグラスギャップに見立てて
オーリーミュートグラブで1日中飛ぶのを僕らの仲間達の間で超大ブームにさせました(笑)
すでにこの時高校生やったけど…。
※1正しくはHi,I’m Frankie Hill,and I like to throw down the Big,fat Ollie one foot.
と言ってるみたいです。まぁ、大体合ってました。
フランキーヒル2度目の来日が決定
前述の通り超エリートブランドPowell所属の
世界に通用するスーパースタープロスケーターにまで昇り詰めたフランキーヒルの
猛進はもう此処まで来たら誰にも止められません。
Propagandaされた日本を制圧するのが目的か?各ショップでのポスター告知も
雑誌の特集も超大々的に行われチームメイト?総長?組長?のトニーホーク
若頭?のバッキー ラセク、若衆?のコリン マッケイと共になんと関西も含めた全国ツアーで
フランキーヒルは2度目の来日。
大阪入りの前情報は雑誌で知ってたのでサイン会当日は学校を
当たり前にサボタージュして信者全員でサイン会場のあるギャレ大阪へ。
よくビデオの中のサイン会のシーンでファンのキッズ達が憧れのプロスケーターに
駆け寄って大騒ぎしてるシーンを見ていたので僕らも会場に着く迄の電車の中では
「ちょっと(ヒルに)オーリー1回だけ見せてや?言おうや?」とか
「トニーホークって絶対デカいやろ?お前と背比べしろや?」とか言い合ってたくせに
いざ会場に着いてビデオでしか観た事ない世界トップのスーパースターを
目の前にした僕らは緊張のあまり一切何も騒げず…。
哀しき日本人のDNAなのか行列を乱す事など一切せず規則正しく並んで…。
あたかもお焼香でもしてるかの様に超大人しく彼らに目なんか一切合わせられず…。
色紙に彼らのサインを貰い、握手文化圏の人種ではないので彼らが
手を出してるのにこんな腐れ外道が貴方様のお手を汚す様な無粋な真似は出来まいと
彼らに深々とお礼の一礼をし、サイン会の流れが止まらない様にしていた
係の方の指示に従って物凄く大人しく上品に会場を後にしました。
ただ…仲間の中でも後発組で僕より超フランキーヒル信者になったHッチャンは
手作りの皮のネックレスを決死の覚悟で震えながらヒルにプレゼントする事に成功。
帰りの電車の中で
「Hッチャン良かったなぁ!!次のビデオであのネックレス着けてたらどうする?」
と仲間達とアレやコレやとワイワイ語ってたら、Hッチャンが
「ヒルと繋がれると思ってあのネックレス、サイン会の前に一寸ねぶっ(舐め)といた…」
と今の時代ならどっかの街の市長みたいにクソ炎上して叩きまくられるであろう
衝撃のカミングアウトを聞いたのが僕らが残せた唯一大きな爪痕でした…。
当時実際に貰ったサイン色紙。トニーホーク(色紙中央)に1991年の記載があるので30年前
ジャパンツアー中の貴重な写真。左よりコリン・マッケイ バッキー・ラセク トニー・ホーク/フランキー・ヒル本人による撮影
その後も彼の勢いは留まる事は無くスケボーシーンだけ観に映画館行ったので(確か海賊船の一部がミニランプになっててそこで滑ってたシーンだった様な記憶があります)
細かい内容とか全く覚えていませんがスティーブンスピルバーグ監督
故ロビンウィリアムス主演の映画”HOOK”にも出演し若手プロスケーターの
中でも名実ともに世界トップの絶対的地位を築いて行きました。
混沌としたMID90'S時代に突入...。
しかし、90年代初頭の混沌としたスケートボードシーンのブームの流れの速さは悪戯に異常に早く…。
通常ブームってじわじわと…数か月、1年と経過するにつれて形成されて
結果的にアメリカで人気爆発!!その人気が1テンポ遅れて日本上陸ってイメージですが…。
オンタイムでその時代に居た僕の感覚ではマジで数週間で
スケーター本人が自分の身の丈に合ったスタイルで規則に一切縛られる事なく本当に仲良しの
仲間達だけでデザインやスタイルを模索しながら超小規模でスケートボードカンパニーを
運営するスタイルが世界的規模でマジでホンマに一瞬で秒で超大ブームに。
先程書いた様に着るTシャツ、貼るステッカーまで規則で決められ、軍隊と揶揄される様な
大規模な製作チームでエリートプロのみを育成するスタイルだったPowell社のやり方が
仇となって時代遅れとなるのもマジでホンマに恐ろしく秒で超一瞬。
メンソールのタ○コ吸ったら勃ち悪くなるって都市伝説信じまくって
ビビりまくりにビビりまくって「別に俺は噂なんか興味ないし」とか言いながらツレ全員
知らん間にメンソール吸うの辞めてるぐらい拙い情報に流され易く
昨日は4組の○○ちゃん可愛くね?今日は2組の○○さんの清楚系の方が逆に良くね?
で青い性を大爆発させていた超移り気な思春期ド真ん中だった僕らが
そんな海の向こうのスケボーの流行りにソッコーで流されるのもマジで一瞬。
たった数人のワンパク満点のやりたい放題ガキスケーターがPOWELL社は元より
他の超巨大スケボーカンパニーにまでスケボー専門誌スラッシャー誌上の
広告でマジでワープロで文字打ってテキトーにサインペンで落書きして
コンビニでコピーしただけみたいな広告でおちょくりまくるのに歓喜し
規則なんかクソ食らえで古着のTシャツ着てオカンに怒られる事確定の常識外の
超オーバーサイズのズボンを履いて滑り
家にあった様なホームビデオカメラで撮影しガッサガッサの画質の
30分テープに10分しか映像入ってないみたいな超テキトーなビデオをリリースしては
信じられないテクニカルトリックを披露しまくり
あんなけヒルに夢中になってヒル教の信者になってたのをスッカラカンに忘れて
超移り気な思春期ド真ん中だった僕らはワンパク小僧達のやりたい放題スケートスタイルに夢中に…。
そこからはマジで毎日何か流行りが変わる。
ビデオが出る度にまた何がしらトレンドが変わる混沌の時代に突入。
マイク・キャロルがプーマ履いてたらソッコーでプーマ。
ティム・ギャビンがここに来てバンズのチャッカー履いてたら昔マット・ヘンズリーの
真似して履いてた9割シューグーの塊のチャッカーバンズ引っ張り出して来て履いて真似して…。
昨日までグリーンディやNOFX言うてたんが今日からモータウンのCD買い漁りまくりかと思ったら
ディーライトて何や?ビースティボーイズてイケてるらしいで?
38mmのウィールで「サイズデカ過ぎやわ」
50インチのデニムで「こんなん細過ぎやわ」で…思春期ド真ん中ヒル教の僕らは
突然押し寄せた新しい混沌ムーヴメントを真似するのに必死になっていました。
歴史は繰り返される?
あの混沌の時代から約30年。
ヒル最高!! キャロルはネ申や!! やった16歳の僕も間も無く46歳。
仕事なので、ずっとスケートシーンや流行り物なんかを間近に接して来て
ここ15年ぐらいはずっと「アレ?コレって俺がガキの時と一緒の流れやん?」て感じる事が
物凄い多くて、自分で店を持つ様になった12年前はどのお客様も
Sサイズで大きい「もっとピッタリ目ないの?」スキニーパンツないの?でしたが
ここ数年はLサイズで小さい「もうちょっと大きいのないの?」でワイドパンツが
主流になって来ています。
スケートシーンも同じ。80年代90年代のデッキシェイプを参考にした
ウェルカム社やマッドネス社も全くキワモノ扱いではなく普通にスケートブランドとしてあります。
そんな実体験を店先でしていると何だか遠い昔の記憶、ヒルに夢中だったあの日の思い出と
クロスオーバーする事が多々。
もうオッさんなんで冷静に俯瞰で今のシーンを見たら
それこそオリンピックでもステアー(階段)とハンドレール(手すり)を模した施設で競われましたし
彼一人ではないもののヒルの様な先代のプロスケーター様達が居なかったら
ただの手すりつまりハンドレールの上乗って滑るってアクション自体無かったかも?
ただの階段つまりステア飛ぶって無かったかも?
という考えに至りアメリカでも過小評価オブザイヤーに毎回ノミネートされているヒルではありますが
にしても…今現在ヒルのあの世界規模でスーパースターとして活躍を知る若い子達は
ここ日本ではスケボー歴30年以上のベテランスケーター様以外では恐らくほぼゼロ。
少年野球やってる子で巨人大鳳目玉焼きやベイブルースはあまりにも古いので知らないかも?ですが
イチロー選手を知らない子、王、長嶋様を知らない子は少ないのでは?と思います。
それはスケボーもフランキー・ヒルもしかり。
今後スケボーに乗る。上達してハンドレールやステアに対峙する様な場面で
フランキーヒルなる偉大なスケートボーダーを知らないままではメイクした時の
写真、映像、友達達の称賛などに付随するスケボー史の重みが無くなるのでは…?
せめてサブリミナルでも全然良いんで若い子達にも僕が子供の頃に
超夢中になった様な甘く切ないフレーヴァーを心のどこかにそっと優しく挿入して
差し上げるのが駄菓子屋系スケボー屋の務めではないか?
と、実にもっともらしい大人な結論に至る全然前にアイパットに向かってブルドック
もといトップライダーの絵を必死に描いていた次第です。
お店が忙しい過ぎ&家帰ったら酔っ払うのがディフォルトの僕なんで
ゆっくりキーボードに向かう事なんか全然出来ず仕舞いで発売からかなり時間が経って
しまいましたが、そんな想いが込められ完成し販売させて頂いたのが
当店2作目となるオリジナル?デッキ。
※画像クリックでインスタページにジャンプします
実はコレ、まぁ、皆様は当店のオリジナル?ステッカーも1作目のデッキもご存知の方は
同じ事とお分かりでしょうが
2作目のデッキも実にストレートにPOWELL社のオリジナルのフランキー・ヒルの
ブルドックデッキ柄をモロで思っくそパ○ってます。
そやし、怒られるかなぁ…。
怒りよってもアメリカと日本離れてるし当時はコロナ禍で海外へ移動なんて
無理な時期だったのでまさか日本の僕の店にドツきに来よるなんて絶対ないやろし
更に更に30年前と言えどハリウッド映画にまで出演してるスーパースターがどこぞの国の
全く知らん東洋人のオッサンのDMなんか恐らく見もしよらんやろ…とタカを括って
英語の成績万年1か2の優秀だった僕はグーグル翻訳先生のお助けを100%お借りして
“スーパーヒーローのヒルさん?!貴方にちょっとギフトあるし家の住所教えてや?”
と返事ない事が前提、なんなら完全に悪戯気分でインスタのDMで送ってみる事に…。
送信して数秒。返信を指す丸3つの入力中のアイコンが表示され…
「お前誰やねん?何で全く知らん東洋人に俺の家の住所教えなアカンねん!!」
て返って来るな...最悪ブロックして逃げたんねん。
と、思いきやストレートにヒル本人の家の住所を記載した返信が到着。
更にグーグル翻訳先生の翻訳によると
「僕の事覚えてくれてるの?ギフトあるん?マジで有難う!!」とまでメッセージを
添えて下さり悪戯のつもりが何だか凄いええ感じにスーパースターの家の住所を
難なく嘘みたいにあっさりゲット。
そらそう来たら怒りよってもシバきには来んやろ…と信じて半ばゲリラ的に
当店オリジナル?デッキ2作目を一方的にフランキー・ヒル本人の家に送り付けたりました(笑)
コロナもあって物凄い送料と到着まですっげ~時間はかかりましたが
数週間後、ヒル本人からお礼のDMが到着し
本人のインスタやフェイスブックにもオリジナル?デッキと2ショットの写真まで上げて下さり
※画像クリックでインスタページにジャンプします
更に英語の成績万年1か2の優秀だった僕はグーグル翻訳先生
完全付き添いの元しばしの間、子供の頃マジで憧れたスーパースタープロスケーター様
とDMのやり取りをさせて頂き、今回のコラムで書いた事と同じ
いかにどれだけ自分が貴方に憧れてたか、時代の流れで日本では過去の物になってしまってる
けどもモロパ○りでも貴方を知らない若い日本人にも僕が子供の頃に味わった
この想いを是非感じて欲しいと思ってこのデッキを作りましたと一方的伝え
結果、数日間に渡ってありとあらゆる色んなやり取りをさせて貰い
実はこのコラム冒頭に掲載しているサーフィン雑誌”TakeOff”の切り抜きも
僕が実家に帰って倉庫の中から小中学生の時に作っていたスクラップブックを探し出す前に
ヒル本人から「何かコラム書くんやったら載せてや?」
「ジャパンツアーの未公開写真も送っとくわな」とご丁寧に写真を送って頂きました。
フランキー・ヒル本人から有難いお言葉
そして最後にグーグル翻訳先生の翻訳によると
“30年前も今も国も言葉も全く違うのに全く同じ時間過ごせるんがスケボーねんで?”
“キープスケーティング!!”
と、あくまでも僕的にはローマ法王、いや、イエス様、釈迦様、ブッタ様、アッラーの啓示より
更に眩く有難いお言葉を頂き数日間にわたるメッセージのやり取りを終えました。
サンプル生産までは上手い事行っていたのですが
何回も責任擦り付けてますがコロナの影響で製品版のデッキ自体の上がりも7週間遅れ。
ヒルさん本人との奇跡のDMのやり取りに酔いしれまくってたらオリンピックの影響で
お店グッチャグッチャなってしまって…何やかんやで
今回のコラム掲載も凄い遅くなってしまってタイミング悪くなってすんませんでした。
例のデッキは100本程がお店から旅立って行ったので飾ってる方も
がっつり乗ってる方も、中には乗りすぎて折れちゃった子も居たぽいですが
スケートボードデッキは乗られて何ぼです。
店先でデッキを買ってくれた子達のほぼ100%が「うわぁインディ描いてある~」
「後ろでホモローさんドクロなってる~」ぐらいでフランキー・ヒルの事を
知った上でお買い求め頂いたお方は大昔からご一緒に滑らせて頂いてるN先輩と
30年前に一緒に学校サボってサイン会へ行った同級生のNと他数名様ぐらいやった
感触ではありますが皆様にお手にして頂いた当店2作目のオリジナル?デッキにはそんな色んな想いをこめて超モロパ○りしたデッキだったんです。
正直、ここ日本ではスケートボードなる物がほんの少し市民権を得たのが今年の7月。
決してそれが悪いとは断じて申しませんが元々真面目な気質で凝り性が多い国民性の日本人は
今後ドンドン競技化されてトリックの難易度や成功率だけを突き詰める傾向に向かう様な気が
僕個人は物凄くしています。
もし、その様な傾向が加速されてスケートボード自体の成長過程や歴史や微笑ましいサイドストーリー等が軽んじてられてしまうのはスケートボードのお楽しみ部分の一部分が削がれてしまう様な気
があくまでも僕自身はして何だか物凄くつまらなくなりそうなので
自称駄菓子屋系スケボー屋の当店は今回の様なコンセプトを崩す事なく死ぬ程恐ろしくマイペースで
オリジナル?アイテムを気向けば生産して行きますので超気長ぁ~に次回作もお待ち下さいね。
文字数数えた訳やないですけど今までで一番長いコラムなったんちゃいます?
流石にココまで読んでる人居ないでしょうね…。
これ書いてる間に緊急事態宣言も解除されてほんの少し街も賑やかになって来ました。
今年は何だかいきなり寒くなりましたがココまで読んだ数少ないであろう特異な貴方は
読書の秋は完全クリアです。さぁ、思う存分スケボーの秋を満喫下さいませ!!
【※2022年01年09日 追記】
このコラムをご覧の方から本文中の大阪でのPOWELLチームの「サイン会の時の写真出て来たよ?」
との事で当時の貴重な写真をお借り出来ました。追記として掲載させて頂きます。
大阪府にお住まいのN様、お写真の御提供有難う御座いました。
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