ノストラダムスの大予言やY2K問題やで世紀末感たっぷりの90年代後半。
とある駅のとある裏口。
最終電車が駅を離れて駅構内で目の不自由な方を誘導するポ~ンポ~ンって
誘導音が消えて電車を利用するお客様がまばらになって客待ちのタクシー
もお客さんを乗せて何処かへ行ってしまった24時頃。
件のとある駅のとある裏口には
何処ともなくギターケースを持った若者がやって来て
何処ともなくラジカセを持った若者がやって来て
誰も居ないとある駅のとある裏口の何てない通路には
ゆず、ゆず、長渕、ゆず、長渕からのゆずみたいな配置で彼らのコピーソングを唄う人
一旦、長渕挟んでからのラジカセ爆音で駅のガラスを利用してダンスに興ずる人
ゆず、ゆず、長渕からのフェイントでミスチルからのダンサーからのまた、ゆず…。
真夜中のとある駅のとある裏口で例え吹雪いててもタンバリンとギターでゆずの夏色。
大して不満ない裕福なご家庭にお育ちぽい若者が一晩中
ギター片手に慣れない反抗期の目で「ろくなもんじゃねぇ~」
素人の僕でも音程ズレてるの分かるフォーキーなギターの音色を
かき消すダンサーのラジカセから流れるド重たいヒップホップの重低音。
それら混沌の若者の吹き溜りと化したとある駅のとある裏口の
中で一番人数が多くて一番うるさくて一番ろくでもなかったのが
何を隠そうスケーター。
今よりかはスケーター間で体育会系なルールもあったし
俺らは俺らのルールでやってるねんし大人は関わるな。
大人なんか信用すんなボケ。
滑るとこ無いなら何処でやってもええやんけ。
正直、痛い目にもあったし反省する事の方が多いです。
僕も未熟でしたし同年代や後輩の子達でスケボーに関しては
どんな事でも何でも出来ると思ってました。
こんな状況のとある駅のとある裏口。
今よりかは遥かに甘い世の中であるものの真夜中に
100人近い多種多様な若者が大挙として押し寄せタムロしている宜しくない状況を
大嫌いな大人どもが黙ってる筈がありません。
即時徹底排除の方向へ動くのは当たり前の流れ。
ストリートミュージシャンは当時流行してたのもあってとある駅のとある裏口から
ロウソク?灯台?を模した大きなタワーがそびえ立つとある駅の表口に移動し
恐らく大きな苦情も出ず何とな~く街に溶け込んで行き…。
ダンサーは爆音出さない限りただ踊ってる若者なんで元々そこまで大きく
問題視される事なく他の場所に普通に移動。
残るは…スケボー。
つまり大人はスケボーだけを徹底排除したらええんやな?で動き出しました。
ただ、大嫌いな大人の中にも「一回はゴロツキの話も聞いたろや?」は
少なからずしも居ました。1人だけ。
その方は市役所のとある課の定年を間近に控えたKさん。
Kさんは何とか○○駅の大勢のスケボーの子達を貴方の手で専門の施設に入れれませんか?
貴方はお見受けする限りまだかなり若いので一番年上の先輩と一緒に
専門の施設の建設予定地にお住まいの地域の方々とお話しだけでもしませんか?
と口説かれました。
大人なんかクソ食らえでやってた仲間達にも顔向け出来ないし
ど〜せ、ズボンずらして大きい大きい服着てヒッピーみたいに髪の毛伸ばして
これやさかいに最近の若いもんは!!て大嫌いな大人に言われるだけだろうし
僕はKさんに即答で「無理っスわ」と応えました。
Kさんはそれでも何度も何度もお店にお願いに来られ
最終、定年で辞める身なんで問題起これば全部背負って退職するんで
専門施設の建設予定地の地域の方々に一回会って下さいと懇願されました。
Kさんに根負けしてしゃ~なしで地域の方と初めての顔合わせの日。
お役所の方々の時間軸よりかは遥かズレた遅い時間軸で
今と同じスケボー屋さんの仕事していたので
もちろん予め遅れる旨は伝えていましたが、少し遅れて現場に向かうと
丁度、専門の施設つまりスケートパーク建設予定地の下見を皆様で
行ってられる最中でした。
他の方はどう思われていたかは僕には分かりませんが地域の方の反応は
正直僕にはあまり良い物には感じられず僕は大人なんか嫌いスイッチが
カチっと音を立てて入った記憶が鮮明にあります。
地域の方は
「まぁ、まぁ、前向きに考えてみるわ~。あくまでも前向きにな?」な感じ。
中には「雪の積もってない季節滑れへんよね?」って仰られてる方も居て
更にせやし大人はダルいねんスイッチも入った記憶があります。
第一回目の顔合わせが終わって。町内の方がお家に帰られた後。
多分、僕は反抗期丸出しの目になってたと思います。
小学生の頃から僕にスケボーのイロハを教えてくれてた
一番年上の先輩つまり現京都市スケートボード協会今井会長。
もちろん僕がそこらの地べたで転げてギャーギャーしてるのも百も承知の上で
「ホモロー…コレはやり遂げなしゃ~ないで?」
と真っ暗のただの河川敷の空き地で言われたのが
火打形スケートボードパーク建設実現へのスタートでした。
結局今プロジェクトに参加する事になって
大嫌いな大人に囲まれてアレやコレや所詮お前らみたいなもん言われ続け。
それでも何とか町内の方に溶け込もうと協会員の皆様と地域の地蔵盆に
顔を出したりもしました。
偉そうに「おお、若いの?そこのお茶持って来いや?」言いよる町内会長は
俺には合わんジジィやわ。って正直思ってました。
最初はほんの数ヶ月で夢のスケートパークが出来ると思ってましたが
スケートパーク建設実現は問題が山積しまくり。
全ての交渉がボランティアだったので仕事のある協会員さんもスケジュールが
合わないとかもあるし、僕自身ももうコレは絶対に無理や思って
バックれたろか?思う事なんか何回もありました。
2歩進んだら横槍入って3歩下がる。一気に10歩進んだ思ったら一気に
最初に戻る。で丸々二年。
段々イラチ来て意地になってる僕らに心打たれたのか?
結局社会的な力がなく無力になってしまう僕らに同情したのか?
僕には分かりませんが町内の森岡会長は
「お前らが(役所に)言えへん事はワシが言うたる」とスケボーの”ス”も
全く分からないのに徐々に僕らの背中を押してくれる様になりました。
結果、森岡会長の大きな地位やパイプにコネクションのお陰で地域で
更に大きな力をお持ちの議員さんに直訴のチャンスを与えて下さったり
僕らでは意見出来ない箇所はアレやコレや本当に尽力を尽くして下さり
ホンマやっとこさの思いで火打形スケートボードパークを完成させるまで
辿り着け、僕個人はこの二年間の経験で例え俺らだけのスケボーでも
大人の力添えが無いと実現出来ない事もあるな...と実感させられました。
パークが完成してからもスケーターの事をあまり良く思ってない方は正直
まだ沢山居ました。喧嘩したらどうする? 火つけよんちゃうか?
はたまた暴動おこしよるかも知れんで?って言われた事もありましたが
蓋を開けてみたらスケーターの皆様は本当に礼儀正しくパークを利用下さり。
年数を重ねるに連れて地域の方々との関係も良好になって行き
その光景を森岡会長は孫やひ孫を見る様に可愛がりより良いスケボー環境にする為に
本当に休む事なく各機関や行政に働きかけて下さりました。
とある夏の日。
パークでスケーターも交えて地域の地蔵盆BBQが開催されました。
ぼけ~っとしてたのか?町会費が入ったクッキーの缶を
渡され僕が食材の買い出し係を任命され
スケボーの若い子多いから質より量でこの(缶の)中のお金でお肉一杯買って来て?
くれぐれも質より量やで?と町内の方に釘を刺されました。
滑りたいのにダリぃ~って思いながら車に乗ったら
麦わら帽にランニングシャツの森岡会長が助手席に勝手に
乗って来ていつもの口の悪い感じで「おう(車)出せ」と言われ。
町内の方に聞いていた安売りのお肉屋さんが近づいたので駐車場に入ろうと
すると「真っ直ぐ行ってくれ」と言われ内心ホンマ口悪いなぁ…思いながら
森岡会長の指示通り向かったお店は何か民家を改装した様な小さなお店で
店内のカウンター中央に大きなボウルを持ったお婆さんがおられて
その場で生肉と唐辛子や調味料を大きなボウルで揉み込んで出してくれる
明らかに本格的な韓国風のお肉屋さん。
店内の値段表見ても明らかに”ちょっとええお値段”。
「車で待っとけ」と促されしばし待つ。
暫くしたら車に戻って来た森岡会長の両手には到底町会費では
賄えない量の乱雑にビニールに入れられた本格的な韓国風のお肉。
僕が町会費が入った缶を出したら両手がお肉で塞がってるので
肩で缶を突き返して「言うたらアカンぞ?」一言だけ。
口悪い?寡黙?言葉足らず?の森岡会長のエピソードですが
会長はそんなお方でした。
言葉足らずでゴリ押しでワンマンで度々僕らと口論になる事もありましたが
スケートボードなんて乗った事もないだろうし、火打形スケートパークが完成
するまでスケボーなる物がどんな物か何する物なのかもしっかり芯掴んで
理解されてない節も多少ありましたが、何でもスケーターのコミュニティだけで
出来る。大人なんかクソ食らえ!!スケーターの世界に部外者が入ってくんな!!
だった僕を少し大人に成長させてくれたのが森岡会長でした。
実は京都市からも森岡会長がご高齢になられて来られたので会長に甘えぱなしでは
協会として問題あるのでは?と示唆されていました。
それでも会長は「かまへん。かまへん」で本当につい最近まで本当に些細な事も
ちょっと内緒でチャッチャッっとでスケーターに有利になる様に働きかけて下さってました。
今週の火曜。
お店休みだったので少しゆっくり起きてインスタ見たらジェレミーレイの実の弟
ジョナスレイの訃報が流れて来て「何ちゅうバッドな目覚めやねん…」て思ってた
矢先に今井会長からラインが届く。
ラインを開いて「えっ?お~い…勘弁してや…」でした。
ホンマについ最近まで精力的に活動なさってたのでまさかこんな早くに
森岡会長と僕で行ったお肉のおつかいの内緒話をバラしてしまう事になってしまうとは
夢にも思ってませんでした…
ただコレだけは断言出来ます。
貴方なしでは現在の火打形スケートボードパークは絶対にありません。
そんな火打形スケートボートパーク、そして京都で滑ってるスケートボーダーの心の
中に貴方がスケーターの為に尽力の限りを尽くして下さったスピリッツはずっと生き続けます。
京都のスケートボードシーンに燦然と輝く足跡を残して下さった
デッキには乗らない京都が誇るリアルレジェンドスケートボーダー森岡会長。
本当にお疲れ様でした。そして有難う御座いました。
安らかに。
京都市スケートボード協会 副会長 荒川 ホモロー 雄介
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